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読売新道・奥黒部の夏

(13)それぞれの山


 雲ノ平を去る朝、青空が澄んで高い。祖父岳山頂から槍ヶ岳などのパノラマを目に焼き付けた。去りがたい思いを引きはがすようにして先を目指した。

 水晶小屋まで戻ると、外のテーブルで下山中の中高年夫婦と一緒になり、世間話をした。

 山歩きは子育てが終わってからで、今年で3年目。最初の年は固有のキタダケソウ見たさに、南アルプスの北岳に入山したが、雨にたたられた。

 昨年は北アルプス表銀座を歩いて、水晶岳方面を目にして興味を持った。そこで今回、高瀬ダムまで車で入り、雲ノ平までを往復する旅にした。

 長野県伊那市の夫妻で、パンとコーヒーの軽食をとりながら仲むつまじい。伊那谷独特の川虫(ザザムシ)やイナゴ、焼きそばとは一風違ったローメンという麺の味わいなど 、地域色いっぱいの話題が続いた。

 奥黒部ヒュッテ付近で、黒部川と合流していた東沢を登り詰めた鞍部(あんぶ)にさしかかると、70〜80センチの地蔵があった。

 里の道に地蔵は珍しくないが、3000メートル級となると、地蔵を運び上げた人の思いの強さと、意志の固さに感服する。

 地蔵というと、日本6位の峰・南アルプス悪沢岳(3141メートル)の斜面で見た一体の記憶がよみがえる。7、8年前の8月下旬、千枚岳側からの登りの途中で、山頂に ほど近い登山道近くのハイマツの中に、40センチほどの地蔵が立っていた。


水晶小屋外のベンチでくつろく登山者(ビデオから)

東沢の鞍部(あんぶ)の地蔵。山を行く人たちをみてきた(ビデオから)

烏帽子岳。山頂からは立山、読売新道などを一望した(ビデオから)

 すっきりと晴れ上がった空が高く、東に向いた地蔵の目線の先に、富士山がポカリと浮いていた。足下の小さなねずみ色の地蔵が、芒洋(ぼうよう)と中空に浮遊する富士山 の巨体と堂々と渡り合っていて、うれしくなったものだ。

 東沢の地蔵は、いつ据えられ、どれほどの人々を見てきたのだろう。イワナ釣り師か、クマ、シカ撃ちか、きこりか、山師か。奥黒部に足跡を刻んだ無名の人たちの息遣いが 聞こえるような思いになる。

 秋田の高校生の団体も印象深い。水晶小屋を出てすぐに10数人の団体、遅れて数人、さらに遅れて数人、またまた遅れて数人と行き違った。

 最初に出会った10数人は坂を登っていて、声をかけるのも気の毒なほどのおぼつかなさだが、後続の仲間らに聞き出すと、二つの高校の1、2年生による合同合宿だった。 全部で20人ほど。裏銀座を縦走し、最後は上高地に下山する。昨日は烏帽子小屋のテン場、きょうは三俣山荘までだ。

 今度の山行で若者に出会うのは、奥黒部ヒュッテの大学生以来だ。登山者の高齢化が著しいこのごろ。胸のうちをじっくりと聞きたいが、余裕はない。元気あふれる女生徒2 人もいた。

 最終パーティーと先頭集団とは1時間以上の差がある。体力には余力があるように見えるが、尻をたたいて追いつかせる指導はしていないようだ。

 「声が出るうちは、ばてていない証拠だ。歩け、歩け」。おせっかいを承知で、休んでいる男子生徒を励ましてみた。

 烏帽子小屋のテン場で1泊し、最終日は20年前に登らなかった烏帽子岳山頂に立ち、読売新道や五色ヶ原などを一望した。

 振り向くと信州側足下には、高瀬ダムの湖水がエメラルド色に輝く。黒4ダムから始まった山の旅は、高瀬ダムで終わろうとしている。

(ビデオは近藤泰年撮影)
(おわり)


2009年9月4日   読売新聞)
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