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倶利伽羅峠-小矢部市

源平盛衰転機の地

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埴生護国八幡宮に立つ木曽義仲像。義仲が戦勝祈願をしたと伝わる古社だ

 ちまたでは「歴女」と呼ばれる歴史好きの女性が増えているとか。木曽義仲を「義仲さま」と呼んでひいきにし、倶利伽羅峠を訪れるたびに胸が熱くなる私も、歴女の一人かもしれない。

  6月の倶利伽羅峠は緑一色だ。かつて北陸道が通い、参勤交代の大名行列や、多くの旅人が行き交った地。そして激しい源平合戦が繰り広げられた地としてあまりにも有名だ。

  1183年(寿永2年)、北陸道を経由して京へ進軍する木曽(源)義仲と、大軍を率いてこれを迎え撃つ平維盛とが激突したのが倶利伽羅峠だ。5月11日のことであったという。

  劣勢にもかかわらず、義仲は名高い「火牛の計」の奇策により、劇的な勝利を収める。大敗を喫した平家はついに京を捨て、義仲は堂々の都入りを果たす。倶利伽羅は源平盛衰を占う転機となった歴史的な地だ。

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倶利伽羅古戦場に立つ「火牛の像」

  赤いのぼりが揺れる平家本陣跡の猿ヶ馬場。近くには、角にたいまつをつけた猛々しい「火牛の像」が立ち、戦の模様を伝える。合戦のどよめきが響いたこの山に、いまはウグイスのさえずりがこだまするばかりだ。

  一帯には史跡も多く、義仲が戦勝祈願をした埴生護国八幡宮や、義仲の妻で女武将でもあった巴、葵の塚などがある。巴は一騎当千とうたわれた猛者で、また大変な美女であったという。

  北陸道を駆け抜けた義仲と巴。ここで二人はなにを夢見ていたのだろう。歴女ならずとも、古戦場が物語る歴史ロマンに引き込まれずにはいられない。

2010年6月11日   読売新聞)
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